以前から読みたかった本に、栃折久美子さんの『森有正先生のこと』(筑摩書房・1700円)があります。
栃折氏は有名なブック・デザイナー。一方、森氏はパリ大学で日本文学、思想を講じる我が国の代表的哲学者です。この、一見、何の共通点もなさそうな二人が実は恋仲だった(?)という、わりとショッキングな題材が扱われており、その魂の交感がどのようなものだったか、を知りたく思ったのです。 内容は、まったくセンセーショナルなものでなく、著者の森氏への敬愛の念(時にそれは恋情に高まったりしますが)が溢れる美しい書物となっています(装丁も、勿論、栃折氏)。中でも印象的だったのは、森氏の独特な風貌。 「スポーツ刈りに近いくらいの短い髪。口髭を蓄えた恰幅のいい人は、藍色の単衣の袖をパタパタさせながら、抱えた魔法瓶の蓋を取ろうと苦心している。」 これは、栃折氏とその友人石岡瑛子さん(この人も日本を代表するデザイナー)が初めて会った時の、森氏のプロフィールです。 そして、森氏と別れた後、石岡氏は彼のことを「エネルギッシュでユーモラス、意外な感じだったけれど魅力ある」と言い、当の栃折氏は「私はうなずきながら『精悍』と言う言葉を加えたいと思っていた」と言い添えます。 いずれにせよ、当代を代表する女性二人に、強烈な印象を残したことだけは確かです。 そんな森氏の“人生についての箴言”を本書から拾ってみましょう。 森有正氏の箴言とは? #
by faulkner23
| 2006-01-15 12:44
先日、池袋の古本屋で「ハヤカワSFシリーズ」の一冊、キース・ローマーの『タイム・マシン大騒動』を見つけました。ハヤカワのSFは、今、ほとんどが文庫版ですが、その前のペーパーバック版の方です(→右の本)。
で、話は、その本の表紙のこと。久しぶりに、カラフルで繊細な真鍋博サンのイラストを見て、大変懐かしく思いました。 真鍋博(1932―2000) 多摩美大卒。 教職を経て、イラストレーター、エッセイスト。直線的なタッチの未来画を得意とし、海外SF、星新一、筒井康隆などの挿画を手掛ける。クリスティー作品集の華麗な表紙も印象的。大阪万博などにも参画。自転車好きで、バイコロジーを提唱した。 とまぁ、こういう人です。死んだときは「若死にだなぁ」と思った覚えがあります。享年、68歳。 当時はそう印象的でもなかったのですが、マイナーなSF作品で覚えているのは、意外と、真鍋氏がイラストを手がけた作品が多いんデスね(→右も、キース・ローマーの作品『前世再生機』。キースの軽妙な印象も、真鍋氏のイラストによるところが大きいような気がします)。 思い出すままに挙げれば――、 R.シルヴァバーグ『時間線を遡って』(ニュー・シルヴァアバーグのタイムマシンもの) J.T.マッキントッシュ『メイド・イン・USA』(アンドロイドものの艶笑SF) A.ベスター「鋼鉄の音」(「昔を今になすよしもがな」の題名でも翻訳。ベスターの代表的中編) L.パジェット「ボロゴーブはミムジィ」(「不思議の国のアリス」を隠し味にしたミュータントもの) などなど。 やはり、一時代を画した才能だったと言えるでしょう。 #
by faulkner23
| 2005-11-13 14:37
| 小説・詩
ブルース・ジェイ・フリードマンで書き漏らしたことをいくつか(右は、彼の若い頃の写真。ポール・ニューマンに少し似ています→)。
●彼は若い頃、ニューヨークの「Magazine Management」という雑誌社に勤めていたそうです。セレブたちのゴシップ記事を載せる芸能誌だったらしいですが、そのとき一緒に働いていた同僚が、かのマリオ・プーゾ。後に『ゴッド・ファーザー』でベストセラー作家になる、あのプーゾさんです。 これ、才能は才能を呼ぶ、ということなのでしょうか(我が国で言えば、「サントリー」広告部の同僚だった山口瞳と開高健、の類【タグイ】ですネ)。 「ユダヤの子供は、4~5歳になると(母親の庇護から離され)父親の厳格な監督下におかれることになる」(『マザーズ・キス』解説・大井浩二)と言われます。 「母親像」を書き終えたフリードマンにとって、「父親像」はいずれ書かれねばならないテーマだったのでしょう。彼自身、2人の子供の父親であり、この作品にはそうした体験も踏まえられていると思われます(山口瞳も、『血族』で母親を書いた後、『家族』で父親のことを書きました。これも、共通点といえば共通点)。 ●フリードマンには、『Tokyo Woes』(1986年)という、我が国の首都の名を冠した作品もあるようです。内容は未詳ですが、アマゾンの書評欄を見ると、カナダの日本贔屓(ひいき)の読者が、「Avoid(抹消)!」と怒っています。「日本についての偏見に満ちたヒドイ作品」とのこと。フリードマン・ファンとしては、彼の“サタイア(皮肉)精神”健在を知って、嬉しい限りですが。 #
by faulkner23
| 2005-11-11 00:23
| 小説・詩
一時期、ユダヤ文学がミニブームになったことがありました。
S.ベロー、B.マラマッドなどのほろ苦いユーモアが紹介され、意外と日本的でウェットな作風が人気を博しました。 そして、ユダヤ性が前面に出ずとも、N.メイラー、J.アプダイク、J.D.サリンジャー、J.ヘラーなど、実に多彩な作家たちがその同族でありました。 その中でも評者イチ押シが、B.J.フリードマン(Bruce Jay Friedman 1930-)であります。なお彼は、堂々「“すごい”文学全集 海外編」の第12巻に収録予定であります。 我が国への初紹介は『マザーズ・キス』。 教育ママと保護過剰の少年とが織り成す悲喜劇をユーモアたっぷりに描き、その背後にあるユダヤ家庭の母子問題も考えさせる佳品でした。 その後、『スターン氏のはかない抵抗』、『刑事(でか)』の2長編、および短編集『黒い天使たち』と戯曲『スクーバ・ドゥーバ』などが紹介されました。 そのユーモアが過激(といっても、ブラックというよりホワイト・ユーモアですが)だったためか、反響はイマイチだったような気がします。ただ管理人は、彼の描く“ユダヤ型サーバー(=駄目)人間”といった登場人物に大いに共感するところがあり、熱烈なファンでありました。 そんなフリードマンが、ある短編で主張した法則を以下に掲げたいと思います。 フリードマンの法則とは? #
by faulkner23
| 2005-11-09 21:11
| 小説・詩
仲間由紀恵・オダギリジョー主演で映画化された「SHINOBI」は、ご承知の通り、山田風太郎の『甲賀忍法帳』が原作です。
そこで映画公開記念に、山田風太郎の法則を以下に掲げたいと思います。 山田風太郎の「善人面食い」の法則(発見者:山田風太郎) 善人は女性を選ぶのに、顔の美醜を以てする。 [解釈] 明治ものの中では諧謔味の濃い『侍よ、さらば』で披露される、女性分類法。人の性(さが)を「全て善である」と信ずる、純真な浪人の女性観、です。心が皆同じなら、後はうわべの顔の美醜で人を判断するしか無い、という理屈。山風一流の巧まざるユーモア、であります。 なお、山風作品のもう一つの特徴である‘性’についても、自ら「滑稽なもんだという意識、それだけですね。(中略)組んずほぐれつだから」と述懐。自らの死すら冷厳に見つめる老作家の、素っ気無い口吻(くちぶり)が印象的でした。 [注] 山田風太郎は現代文学界の最後の大才。 故・高木彬光に‘天才・風さん’と評され、筒井康隆(「大変な先駆者」)、平岡正明(「偉大な相貌」)、中原弓彦(「柴田錬三郎、司馬遼太郎に匹敵」)といった信頼できる後輩達から、最大級の賛辞を奉られていた別格の作家でした(平成13年7月28日、惜しまれつつ逝去)。 なお、膨大な忍法帖からベスト・スリーを選ぶと――中原弓彦は「長いものほど良い」として『柳生』 、『魔界転生』、そして番外に『外道』の秀抜な落ちを推薦しています。大井広介は「だいぶ忘れた」と言いながら『魔界転生』と『外道』を思い出しています。高木彬光は「どの作品も素晴らしい」と言いながら特に『魔界転生』、『風来』、『信玄』と『妖説太閤記』を挙げています。また平岡正明は、山風を中国の文人金世嘆に模した後、『妖説太閤記』を絶賛しています。 ここで編者の好みは、世評高い『柳生』、『妖説太閤記』の二編、それに『信玄』の完成度を加えてベスト・スリーとしたいと思います。 #
by faulkner23
| 2005-10-29 15:32
| 小説・詩
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ブログ内容
管理人40年の読書経験から発見した「人生法則」をご紹介! (タイトル・イラストは、私の好きなGary Kelly の「Cafe Societe」です)
人名索引
①ドストエフスキー②オルコット③プルースト④ジョイス⑤ムジール⑥フォークナー⑦E.ブロッホ⑧ダレル⑨ショーロホフ⑩サーバー⑪イリフ&ペトロフ⑫フリードマン⑬マルケス⑭チェスタトン⑮サンダース⑯C.スミス⑰ティプトリーjr⑱ベスター⑲H.ブロッホ⑳プーレ 最新のトラックバック
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